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論文2『神道における秘授口伝の一形態』



(1のつづき)

彼は一時期、三好長慶・松永久秀らと組み、京都を法華宗のリーダーとして牛耳っていたことがある。
季治は題目を唱えるときに、神道の言霊を利用したため、妙音を発して尊敬されたらしい。
息子の長治の妻に松永久秀の娘を迎えたのも法華信仰のネットワークからだ。



しかし、義輝はキリスト教に布教を許してしまった。 季治にとってキリスト教は真っ向から対立する宗教である。 彼は同じく、布教を許可した織田信長にもくってかかり、言が入れられないと将軍・足利義輝に



「信長は熟したイチジクだ。いずれは地上に落下する」と讒言を叩きつけた。



これを信長が知り、季治は近江の永原で処刑された。季治は息子の刑部卿・竹内長治と絶縁している。



そのため二女を、かくまっていた後南朝の皇子に嫁がせて血を残した。



 第六十世越中宮惟治王改め竹内惟治である。(実際は小倉宮良泰親王の子孫)



この時に南朝に伝わっていた神道の秘儀や秘史も竹内家に導入された。



 有名なのが、「真床男衾之行法」である。これは、現在の北朝の天皇家には伝わっていないらしい。



しかし、竹内家は戦国の世の常で没落して神主となり、のちには百姓にまで衰退した。



■文書の盗難■



江戸時代には代々、竹内三郎太郎を名乗り世襲した。



その時に、越中国射水郡二上山の武内宿禰の墓に隠していた御神宝をつかって「霊嗣の儀式」を執行していたが、



 江戸の最末期に、何者かによって盗掘されてしまった。



その為第七十二世の子供はショックで跡を継がず、明治初期の戸籍名も通称の三太郎とした。



のちに近くの土地で御神宝らしきものが売られていたと噂で聞いたが、あとの祭であった。



 当時はよく神社や古墳の盗品が骨董屋に出回ったらしい。



家紋も、越中の民謡「三才踊り」に「かたばみ紋に菊宿る」と唄われた「菊浮線綾に剣片喰」から菊をとり、の「剣片喰」になった。南朝摂政宮竹内家の家紋は「四つ割菊に葉付き紋」で、現在はこれを使用している。この竹内神道の秘密の門人達の子孫が私に竹内神道を伝えてくれたのである。三太郎は私の曾祖父にあたる。

■現代に甦る古神道■

竹内神道は秘密神道で、内容はおろか信者の名前まで非公開なので、私も表に出るつもりはなかったが、 古神道を学んでいるうちに、
秘儀はともかく、その思想は広く人々に伝えるべきではないかと思うようになった。

 古神道には現在人類にとってもっとも必要と思われる「自然との共存」を可能にし、
他の宗教・人種・民族とも共存出来る「和」の思想がある。これを伝えたい。

そう考え、「古神道本庁」設立した。 祭神は「天神地祗八百万神」である。



 ■正統竹内家極秘口伝について■

極秘口伝である以上、一般には公開していないのだが、ごく一部の内容を研究者に語ったところ、それが本や雑誌に載ったことがある。しかし、そもそも大半は古神道の秘儀なので別に面白くもないのだが、「雑伝」と言われる、あまり祭主が信用していない口伝には確かに「キリスト伝説」なと興味深いものもある。

ただし、茨城竹内文書の伝える垂仁朝ではなく、神武天皇の時代である。 日本に神道の修行にきたわけでもなく、太陽の上る方角に、つまり東へ東へと向かって日本についたらしい。もっともこの太陽に向かって日本にきたというのは、天孫族来日の口伝にもある。

とりあえずキリストの日本名は五十鈴彦というらしい。



茨城は八戸太郎天空と名乗ったとしているが、西暦0年ごろの日本で、そんな名前はありえない。
弟の名前は伊須気余里彦で、兄弟ともに神武天皇の妻の名前をもらったらしい。



 一応、父の名前が「世聖父」で、母の名前が「真理」なのも、信じがたいが記しておこう。キリストはその後、さらに東へ向かったという(位置的にはアメリカ大陸だ)

この話は、どうみても明治時代、古くてもいいところ戦国時代に作られた話と思われるので「雑伝」になっている。しかし、先祖から伝わる口伝を、勝手に削除するわけにいかないので伝えてはいる。


■口伝についての一考察■

口伝の信憑性については史料批判以前の問題なのだが、家や、宗教教団に伝わる口伝はそれが事実であるかどうかよりも、そういういい伝えによって家や教団が成り立ってきたということが重要なのであり、
宗教や神社に伝わる口伝はそれ自体が信仰の対象になることが多い。

 口伝は論文を書くときの論拠にできないのだが、ヒントにはなる。エスキモーもマンモスの記憶を口伝で伝えてきたのだし、『古事記』『日本書紀』も口伝を編集したものだ。

そういう意味では、今のうちに口伝を編纂しておかないと、絶えてしまうおそれがある。 「雑伝」レベルのものは、いずれ時間ができたら文章にまとめておきたいと考えている。これは現代版の『扶桑略記』『水鏡』にできるかもしれないと期待している。



今のところ神武天皇以降を簡単にまとめて、信者や一部の研究者に公開している。

これが「正統竹内神道管長職家文書」(略称・正統竹内文書)〔人の巻〕の一部である。「竹内家秘史系譜略解」である。これの研究者としては日本歴史研究所から『竹内宿禰と詠う神人たちの詩』などが出版されている。

 竹内家の雑伝には、このほか日本ユダヤ同祖説ならぬ世界同祖説や、ピラミッドに関する口伝、
前方後円墳の形についての口伝や、宇宙の創造にいたるまで様々な口伝が伝わっている。


■予言について■

また、歴代の祭主のなかに予言を残す人々が何人かおり、この予言の中に、 「日本は世界の雛形である。日本が世界の模範となって神政復古を実現した時、争いのない世の中、高天原が顕世に顕現する」といった内容の外八州内八州観的なものがある。ほかにも「日本を外国の手先が八つに分けようとする企みがおこる」という岡本天明の「日月神示」とよく似たものがあるが、これは「道州制」のことだろう。とすれば,外国の手先とは誰のことかと勝手に想像したり、なかなか楽しませてもらえる。 予言といえば、大本の出口王仁三郎の「今の竹内文書は、わしが神様から聞いたのとは少し違う」という言葉が残されているが、
王仁三郎の知っていた竹内文書とは、おそらく正統竹内文書のことであろう。


■竹内家口伝の分類■

正統竹内家の口伝は、基本的に大きく、いくつかの系統の伝承に分類できる。

●アニミズムそのままの太陽崇拝などの自然崇拝の伝承。

●国津神系伝承と古神道の行法(天皇家の先祖は日本を征服すると同時に、国津神系の神道の秘儀を奪った)

●ニニギ命の妻=大山津見神の娘・木之花咲夜姫の時と、後醍醐天皇についた山民の伝承。

●彦火火出見命の妻=大錦津見命の娘・豊玉姫の時と神功皇后の三韓征伐の時に武内宿禰に従った阿曇一族の海民伝承。

●神武天皇の妻=事代主命の娘・媛蹈鞴五十鈴姫の時の出雲系伝承。

●屋主武雄心命の時の紀伊国に伝わる南洋系伝承。

●武内宿禰の時に、審神法・禊法・盟神探湯などの、古神道の秘儀を整理。

 以後、平群子首が臣姓諸豪族の口伝を集めて、『日本書記』に入れられなかったものを、子孫に伝えた。この時に、連姓伝承で採用されなかった大伴氏伝承・物部氏伝承・忌部氏伝承などが一部伝わった。


 平群安麻呂(当時、尾張守)の時に風土記編纂の命令がきたので、尾張氏の伝承を伝える。これは、のち熱田大宮司家に藤原氏より竹内季範が入るときに、伝授している。また、平群清幹以後三代のときに東国の伝承が集められた。


 竹内季治の時に法華神道が導入され、後醍醐天皇の子孫・惟治の時に南朝伝承と天皇家の神道の秘儀、そして真言密教が伝わる。
江戸時代は浄土宗だったらしく、浄土信仰の変わった神道説が伝わっている。


 <浄土神道>南朝天皇=阿弥陀如来=転輪聖王、武内宿禰=大勢至菩薩=都市王、といった具合だ。


■古神道の可能性■

しかし、やはり古神道の秘儀こそ、正統竹内家極秘口伝の、というより日本の最高機密といえる。これは、細々と陰で信者に伝えているので、断絶することはない。なぜ公開しないかといえば、やはり、いい加減な気持ちで取り組む人物に伝授すると、本来の意味を取り違えてしまうことがあるからだ。

 「死と再生」の秘儀に至る「神髄の道」は険しいものである。ほんのわずかな迷いが、命取りになることがある。また、竹内神道が、極めて秘密性の強い教団だからである。
現在でも正統竹内家当主は「霊嗣の儀式」を執行した後、古神道宗家「武内宿禰」の称号とともに、「南朝小倉宮家」も継いで、いまや有名無実の、というより無名無実の「吉野朝廷」摂政宮祭祀王に就任する。

これははっきりいって人には言えない。 会員にしても普段はただのサラリーマンが南朝忠臣の子孫ということで「武蔵守」(もちろん実益はない)になったりする。
家族にも隠している人が多い。

この竹内神道の教典と言えるのが「正統竹内文書」である。 危険な人物と思われないためか、秘密会員が大半である。そのため「古神道」の秘密結社といったものになってしまった。そういう意味で逆に「古神道本庁」は開放的な明るい団体にしたいと思っている。


 古神道にこそ、現在の人類にとって、もっとも必要な「自然との共存」、他の民族・人種・宗教との共存を可能ならしめる思想が含まれているのである。この思想を広く世界に広げたい。



 古神道本庁の「神道ルネッサンス」運動により、民族宗教「神道」は、世界宗教の根源たる「古神道」に甦る。

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