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論文3古神道の玉が秘める霊的パワー



古神道の〃玉〃が秘める霊的パワー



竹内睦泰 第七十三世武内宿禰



< 「古神道の〃玉〃が秘める霊的パワー 日本の秘密宗教の一形態」



 (『別冊歴史読本「古史古伝の謎」』新人物往来社 所収)



 太古から御神体として祭られてきた古神道の石。
そこに秘められた信仰を、「正統竹内家」の当主として
生きる決意をした第七十三世武内宿禰が語る。



■密接なつながりをもつ古神道と石



 「木」に「気」があるように「石」にも「意志」がある。一一一一言霊信仰の一例だが、古神道の世界と「石」は密接な関係にある。



 「石」そのものを御神体とする「磐境」信仰などが、その顕著なものである。また、石を使った「勾玉」の力にはまだ解明されていない多くの謎が秘められている。



 正統竹内家に伝わる古神道でも「石」は「玉」という形でよく使われる。現実の石を用いるのは顕斎を執行する時の鎮魂石として使用する場合と、「御守護石入魂之行法」の時である。



これは自分の「卸守り」として、なにか気に入った石があれば、それを侍ってきて、その人の守護神となる神の分霊を入魂するものであるが、たいへん手間がかかるので、現在はほとんど行なっていない。



 幽斎(現実にはない神社を想像し行なう祭祀方法)を執行する際に、現実の物質ではない幽体の「玉」を用いる。竹内神道の「裏十種神宝之行法」は幽斎であり、霊体の「神宝」を使う。



この中の生玉や死反玉の行法は「玉」によって霊的バリアーである結界を張ったり、人の気に力を与えたり、穢れを祓うといったことができる。



 正統竹内家の口伝によれば、古代天皇家は倒した相手の一族に伝わる歴史と神道の行法を奪っていくことによって大きくなっていったのだが、物部神道の「十種神宝之行法」もその中のひとつだった。



 物部家に伝わったのは天皇家が倒した相手の「神宝」を物部家に管理させたためで、はじめから継承されていたわけではない。



 一方、竹内神道の「裏十種神宝之行法」は天皇家が神道の行法として伝えていたもので、北朝天皇家には伝わらず、後南朝小倉宮家の祭祀を継承する人間に伝えられた。



これは幽界の「三種の神器」といわれる「天津日月主之御玉」や「八雲村雲十握之剣」、そして「帝皇日嗣」=鏡(歴史)とともに「霊嗣之儀式」を執行する際に授与される。この儀式の原型は太古まで遡ることができるが、体系化されたのは近世になってからと忠われる。



■新生「武内宿禰」の誕生



 正統竹内家にも「御神体石」や「霊石」といわれるものが伝わっていたらしいのだが、幕末から明治にかけて越中国射水郡二上山武内宿禰陵より何者かによって盗み出された。



そのショックで第七十二世武内宿禰の子供は「霊嗣之儀式」が執行できず、名前も代々三郎太郎を襲名していたのに略称の三太郎を戸籍名とした。古神道宗家「武内宿禰」は空位となった。



そのため、竹内神道の長老や後南朝の参議が話し合い、「太占」を行なった。その結果、「王政復古の大号令」の九九年後に生まれた竹内家の男子の中から「武内宿禰」を選ぶことになった。



 一八六七年一二月の九九年後というと一九六六年一二月ということになる。私が生まれたのは一九六六年一二月だ。本家争いがあるといけないので竹内家には知らせず、長老・参議の子供たちに古神道の奥義と歴史を分割して継承し、未来に生まれる新生「武内宿禰」へ伝授することになった。



この話は論理的でわかりやすいのだが、いくつかおかしいところかある。



というのは,「神宝」が盗まれても「霊嗣之儀式」を執行することは可能なのだ(現に私がそうだ)。



ということはなぜ、中断したのか。簡単にいえば、江戸時代「百姓」として生活していた「武内宿禰」には神主としての能力がなくなっていたと思われる。



 神社の神主ならばそれでも用は足りるのだが、古神道の神主となるとそうはいかない。しかも、祭主として教団(というよりも怪しげな秘密結社だが)を引っ張っていく必要があるのだ。
後南朝の参議たちは考えた。まず正統竹内家から選ぶというのは後醍醐天皇だけでなく武内宿禰の血を引いているということからもやむをえない(本当かどうかは別として、そういう言い伝えがあることが重視される)。そこで予言されて生まれた人物ということで「武内宿禰」にカリスマ性をもたせようとしたのだろう。もともと長子相続ではないので、誰がなってもおかしくなかった。そして私が「偶然」選ばれた。



■夢と現実の神秘体験



 隠れキリシタンならぬ裏神道の祭主兼後南朝のリーダーになるというのは、話としてはおもしろいのだが、やはり何か「あぶない」団体なのではないかとも思ったり、「これは新手の誘拐グループか?」などという不安も頭をもたげた。ただ、「後南朝」を標榜し、「武内宿禰」を必要としている秘密結社が存在するという事実に私は興味をもった。そして、何度か接触していくうちに向分の中に変化が起きた。



 夢の中に「天照大御神」らしき女性が現われ、私に水晶の玉のようなものを渡して飲むようにすすめた。
ビー玉ぐらいの大きさなので、のどにつまりそうで嫌だったが、飲んだ。体の全体に液状になったそれが広がっていくような感じだ。
夢から覚めた時「うそだ。これは願望夢だ」とか、竹内神道と関わるようになった状況から勝手にそのような夢を見るのだと考えたのだが、その後、夢の中で神道の修行が始まると、自分のまったく知らない知識をおしえられ、あとで本で調べて確認するとその通りのことが載っていたり、ということが頻繁にあった。だれにでも経験があるかもしれないが、五分~一○分くらいしか寝ていないのに何日も生活する夢を見たことのある人もいるだろう。
私の場合、その夢の中の時間が異常に長かった。そのうち現実の世界でも変化が起こった。昼間でもはっきりと満天の星が見えたり、体中に金粉が出ることもあった。あげだすときりがないほどの「神秘体験」が私に興ったのである。



■後南朝と武内宿禰のロマン



 それば「錯覚」といえないほどリアリティあふれるものだった。だが、私は自分が「おかしい」とわかっていながらも精神鑑定をうける「勇気」はなかったし、自分が「狂人」であっても別にかまわないと思った。



かまわないというより、実際、私は「狂人」だろう。もういい。カッコをつけてもはじまらない。正直にいおう。



 「日常」にどっふりとつかっていた私は「非日常」が体験したかったのである。



 人になんといわれようと、どうしようもなく「日常」以外のものに「のって」みたいという気になっていたのである。そして、私は後南朝と武内宿禰のロマンに「のって」しまったのである。



とある山の中の、竹と筵のようなもので作られたテン卜のような「社」で私は「霊嗣之儀式」を執行した。



テントのような「社」は、あとで知ったのだが、「天地元根造」というもっとも古い形の社だということだ。



そこでの密議を終えた私は、後南朝の人となった。



 今思うと、あの天照大御神のくれた玉は私自身の「意志」だったのかもしれない。



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